元プロ野球選手の元木大介さん。
現役時代に輝かしい実績を残した元木大介さんですが、ラーメン店経営の失敗とっても気になりますよね?
そこで今回のこの記事では、
- 元木大介がラーメン店を失敗した3つの理由
- 本人の性格に原因があった?
主にこの2つに迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう!
元木大介がラーメン店を失敗した3つの理由

元木大介さんと言えば、読売巨人軍でプレーした元プロ野球選手として知られています。
1971年12月30日生まれの大阪府豊中市出身で、上宮高校時代には甲子園で通算6本塁打を放つなど、強打の遊撃手として活躍しました。
1990年にドラフト1位で巨人に入団し、2005年に現役を引退するまで、チャンスに強い打撃や多彩な守備で活躍したユーティリティープレイヤーでした。
引退後は野球解説者やタレントとして活動していましたが、2010年、引退から5年後に念願のラーメン店「元福」をオープンしました。
店名は「元木」に「福」があるようにという願いを込めたものだったようです。
しかし、元木大介さんのラーメン店経営は思わぬ方向へ。
2012年には2号店を出店するなど店舗拡大を夢見ていましたが、わずか4年間で3店舗すべてを閉店することになってしまいました。
では、なぜ元木大介さんのラーメン店は失敗してしまったのでしょうか?その理由を見ていきましょう。
理由①:場所選び・オープン準備・接客の失敗
元木大介さんの1号店は東京・仲御徒町にオープンしました。
しかし、この場所選びが最初の失敗だったようです。
飲食店の経営は非常に難しく、半分以上のお店が2年以内に潰れてしまうというデータもあるそうです。
特にラーメン激戦区での出店は、相当な覚悟と準備が必要だったのではないでしょうか。
また、元木大介さん自身が「しくじり先生」という番組で語ったところによると、1号店は「場所選び」「オープン準備」「接客」の3点で失敗していたとのことです。
特に接客面では、開店当初から文句を言いに来るお客さんも多く、そういったお客さんとうまく向き合えなかったことが問題だったようです。
理由②:スタッフ管理の問題
2号店を広尾にオープンした際、元木大介さんは面接で採用したスタッフに任せきりにしていたそうです。
これが大きな失敗につながりました。
オープンから数ヶ月後にお店に行ってみると、なんとスープの色が変わっていたとのこと。
元木大介さんは、ラーメン店を始める前に約1年半かけてスープ作りに励んでいたそうですが、店長がレシピに手を加えて別の味に変えてしまったのです。
「坂上&指原つぶれそうなのにつぶれない店!」という番組に出演した際には、「味が変わった」ことが閉店の理由だと即答し、「(味を)戻せって。分かんなかったら、本店に行って戻せって(店長に)言ったんですけど、そいつが、行かないんですよ」と説明していました。
店長の頑固さと、それを管理できなかったことが2号店失敗の大きな原因となり、わずか6ヶ月で閉店することになったようです。
理由③:経営者としての甘い考え
元木大介さんは自身の失敗を振り返り、「甘い考えでラーメン店をはじめてしまった」と自己分析しています。
実は、ラーメン店を始めた理由も意外なものでした。
「使う食器類が少ないので始めた」と話していたそうです。
確かにラーメン屋で使用する食器は、主にラーメンを入れる丼ぶりとギョウザなどに使うお皿くらいで少ないと言えますが、それだけで飲食店経営を決めるのは少々軽率だったかもしれません。
また、有名人であることを活かして、物産展に出店料なしで招待されるなどの特典もあったようです。
「一般の人は頼んで出ないといけないんですけど、かなりいい形で出させてもらえるし、写真とか握手してるだけでいいんですよ」と語っていました。
しかし、そういった特典に甘えるだけでは、厳しいラーメン業界で生き残ることはできなかったようです。
本人の性格に原因があった?

元木大介さんのラーメン店失敗の原因は、彼の過去の経験や性格にも関係があったのかもしれません。
現役時代の成功体験が裏目に
元木大介さんは現役時代、「クセ者」と呼ばれるほどチャンスに強い選手でした。
また、多彩な守備でチームに貢献するユーティリティープレイヤーとして活躍していました。
しかし、野球選手としての成功体験が、経営者としては裏目に出てしまったようです。
元木大介さん自身も「ラーメン店の経営も野球と同じだった」と締めくくっていたそうです。
つまり、野球の試合で常勝しているチームには名監督がいるように、ラーメン店のスタッフをうまく教育できれば、経営はうまくいっていたと話していたとのこと。
しかし、現実はそう簡単ではなかったようです。
几帳面な性格と現場任せのギャップ
元木大介さんは、実は綺麗好きで几帳面な性格だそうです。
服の管理は自分できちんとやり、以前はクルマの中は飲食禁止にするほどだったとか。
携帯の保護シールに少しでもホコリが入ると全裸で張り替えるというエピソードもあるほどです。
そんな几帳面な性格の持ち主が、なぜラーメン店の味の管理をしっかりしなかったのでしょうか?この矛盾が、経営失敗の一因だったのかもしれません。
また、現役時代は「自分のスタイルを自分で決めて作ってきた」と語っています。
「人から言われたことをやっていたら絶対失敗していたと思うし、駄目だったら人のせいにして言い訳できちゃうでしょ?そういうのが絶対嫌だった」という考え方の持ち主だったそうです。
しかし、ラーメン店経営では、スタッフに任せきりにして自分のスタイルを貫けなかったことが、結果的に失敗につながったのではないでしょうか。
野球とビジネスの違いを理解できなかった
元木大介さんは野球選手として、「やるからには頂点を目指す強い気持ちを持つ」「失敗を最小限に抑えることを常に意識して行動する」「まずは、人より努力する気持ちを持って練習する」といったことを大切にしていたようです。
しかし、これらの考え方をそのままビジネスに適用することは難しかったのかもしれません。
野球とビジネスでは、成功するために必要なスキルや考え方が異なる部分も多いからです。
特に飲食店経営は、単に美味しい料理を提供するだけでなく、立地選び、人材管理、コスト管理、マーケティングなど、多岐にわたるスキルが求められます。
元木大介さんは、これらの違いを十分に理解できていなかったのかもしれません。
まとめ
今回は元木大介さんのラーメン店失敗の理由についてお伝えしてきました。
元木大介さんがラーメン店経営に失敗した理由は、
①場所選び・オープン準備・接客の失敗
②スタッフ管理の問題
③経営者としての甘い考えの3点でした。
また、現役時代の成功体験や几帳面な性格と現場任せのギャップ、野球とビジネスの違いを理解できなかったことなど、本人の過去や性格に関わる要因も影響していたようです。
元木大介さんは現在、読売ジャイアンツのコーチを経て、2024年からは「ジャイアンツアカデミー」の校長を務めているようです。
また、2024年1月からはYouTubeチャンネルも開設し、新たな挑戦を続けているようです。
元木大介さんのこれからのご活躍も応援したいですね。
それでは、ありがとうございました!
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